HOPE in GRACE *流産・死産(子宮内胎児死亡)そして妊活の記録*

2016年12月 2度目の流産を15週で経験したときの記録です。そしてその後の妊活記録。

12月23日 出血は終わったのかな?

2週間以上続いていた出血が大分おさまった気がする。

ほとんど出てこないので…たぶん。

でもまた塊がどばぁーっと出てくる不安はあるので、気をつけなくては。

乳房の痛みも大分おさまったけれど(そしてかなりのサイズダウン…笑)

でも、まだ違和感はあるかなぁ?(寝ているときに何回か「痛い!」と思って目覚めたりもする。)

とにかく、今回は子宮収縮の薬も乳腺の働きを抑える薬も服用していないので、

身体の自己回復能力に任せるのみ。

みんな大体分娩の1~2か月後の間に生理が来るって話なので、

次の1月10日の診断ごろにはちゃんと生理が来たらいいな…

 

世の中は今日から3連休なのね。

そして明日はクリスマス・イブで、明後日はクリスマス。

どうやって過ごそう?

私は今まで、クリスチャンで、イエス様の誕生日を思いっきりお祝いしたい人なので、

何回も家に誰かを招待したり、どこかでみんなと集まって、

飾りつけして、美味しい食事をして、讃美歌を歌ったり、プレゼント交換をして(私はホワイトエレファントっていう、家にあるいらないものをかわいくラッピングして送りあうヤツが好き!)みんなで色々笑ったりしながら時間を過ごす機会が多かった。家族でもクリスマスの音楽を聴きながらゲームをしたり、美味しいものを食べたり…

(夫はほとんどそういうことがなく育ったらしいのだけど・・・まぁ、南半球で育った夫は季節も真逆だしね。何となく、夏のクリスマスは風情がない気がする…勝手な想像だけど。)

アメリカでも24日はイブ礼拝に行って、いつもの友達の家でスープを食べながら和やかな時間を過ごしていた。そして25日は教会の家族が集まって、ハムのディナー(私はこのハムの周りに黒砂糖のグレイズドの奴がすごい好きだった)を食べたり、美味しいデザートを食べたり…そしてその翌日にはいつも私の住んでいた東海岸から西海岸のLAへ飛行機で大移動(だって、乗継をすると1日がかり。日本からLAに行くより時間がかかる!アメリカはデカい)…年末年始はそこで行われるアメリカ在住クリスチャンが数百人集まるカンファレンスに行く…そんな充実しまくりの季節を過ごしていた。

 

でも、今年は何もない…悲しいなぁ。

なんて、色々考えるとまたとてつもなく深くて暗い穴の中に1人で落ち込んで行ってしまうような感じ。昨日はその穴からなかなか抜け出せなくて夫にも悲しい思いをさせてしまった。

 

きっと来年は楽しいクリスマスシーズンを過ごそう。

今年は静かに落ち着いた時間を過ごせることに、感謝しよう。

12月20日 父の手術

前回のブログの後、やはり非常に穴の深い所に落ち込んでしまいましたが…

これじゃあ、天国ののぞみちゃんも悲しむよね…と、月曜日には少し復活。

夫と約束していた近所のよみうりランドへ。夜のイルミネーションを楽しみました。

実はその日から父が入院…そして昨日の20日に手術となりました。

健康診断の胃カメラで発見された潰瘍…胃がんのステージ1Aということで、

転移は認められなかったものの、結局は胃を3分の2切除したとのこと…

 

これとそれとは話は違うとは思うけど、

死産後、私は自分の身体の一部が急にどこかにいってしまったような喪失感をしばらく味わっていたのだけど、

胃の3分の2がなくなってしまうのも、なんだか喪失感があるよなぁと

勝手に私も喪失感を味わってしまった…

 

ただ、今回の手術は根治術で、抗がん剤の治療も必要がないということは、

不幸中の幸い。傷も腹腔鏡の手術だったからたった4cmで痛みも少ないみたい。

あとはゆっくり胃の回復を待つという事。

そして今回の入院で、今までかなりのヘビースモーカーだった父は

検査で90歳以上の肺の状態であると指摘され、

もちろん入院なので禁煙状態。

これを機会に禁煙、そして健康的な食事へと変化してほしいものだ。

 

また、今回の胃がんは「ピロリ菌」が原因だったとのこと。

ということは私もかなりの確率でいるんだろうなぁ…と怖くなっています。

そして、少しずつ両親も歳をとっているんだなぁ…と痛感。

 

私達は親から子へ命のバトンをつないでいるわけで、

でも、最近の世の中は本当に色々な家族の形が複雑になってきて、

女性の在り方も変わってきて…

私みたいな存在も昔だったらきっとそんなにいなかったはず。

30過ぎて日本を飛び出すわ、38まで結婚もしない(できない?)わ…

そして39になってようやく妊娠と死産や、親の病気を経験し…

 

今年もあと少し。

2017年は、本当に本当に、

平安な、暖かい光に満ちた1年を家族みんなで迎えられますように。

12月17日 久しぶりのお出かけ

12月17日

自宅安静になってから1か月。

FMC東京クリニックに出かける以外はほとんど家の近所でしか生活していなかった。

昨日は気持ちがかなり落ち込んでいて、夜もずっと眠れなかった。

なので、今朝もとっても怠い気持ちでいたけれど、

外はとても天気が良い。

夫が出かけようと誘ってくれたので、久しぶりに電車に乗って横浜へ。

私達の婚約指輪も結婚指輪も元町のStar Jewelryで購入したので

その思い出のお店でクリスマスプレゼントを買ってもらった。

色々あって迎えたこのクリスマス。

少しでも明るい気持ちになってほしいと買ってくれたクリスマスプレゼントは

とっても嬉しかった。

 

それから元町をちょっと歩いて、

中華街で夕食を取って、

大桟橋から赤レンガ倉庫に向かって歩いてみた。

本当に街はいつのまにはクリスマス一色だ。

赤レンガ倉庫で、月曜日から入院する私の父にお見舞いのプレゼントを選んでいると…

嫌な感じが…

またもや、しかも、こんな場所で出血の感じが…

やっぱり動くと出てくるみたい。とにかく子宮にたまらずに出てほしいのだけど、

やっぱり出血が始まると腹痛もあるし、フラフラするし、

何よりも気持ちが悪い。

ちょっと予想外に大量に出血してしまったので、

途中でナプキンを買い足したりしながら、ゆっくり、休み休み、

何回もトイレに立ち寄りながらみなとみらいを歩いて桜木町にたどり着いた。

昨日は家でおとなしくしていたからあまり出血もなかったのだけど、

まだまだこんなことは続くのかな…

でも、久しぶりのお出かけはとっても楽しかったし、

嬉しい時間だった。

誘って、連れて行ってくれた、そして、出血でゆっくり、休み休みしか動けない私を気遣ってゆっくり歩いてくれた夫には本当に感謝です。

今年のクリスマスは、色々な意味で、また特別に思い出に残るクリスマスになるだろうな…

 

12月15日 回復と落ち込み

妊娠してからしばらく行っていなかったジムへ行った。

元々エアロビクスが大好きで上級クラスでクルクルと踊るのがストレス解消だった私は、さすがに上級クラスはまだヤバいと思って、初級クラス45分。

やっぱり体を動かすと気持ちがいい。

 

お医者さんにも体を動かした方が子宮にたまってしまっている血を出す助けになると言われていたのだけど、その言葉通り、夜に夕食の準備をしているとまた血の塊が出てくる感覚…その後、また一時的に血がたくさん出てきた。(その血の出方が今回も尋常ではなく、変な話トイレが血だらけになったりする程で、それはそれで結構焦るし、気分も悪くなる…涙)

 

これで2回目だったし、やはりしばらく横になっていたら大丈夫だし、とにかく子宮にたまってしまうは嫌なので…

 

でも、夜にはなんだか気持ちが落ち込んでしまった。

 

私、何やってるんだろうなぁ…

 

世の中は来週末にクリスマスを迎えるのか。

ちょっと頑張ってツリーも出してるし、クリスマスの讃美歌を口ずさんでみる。

でも、なんだか気持ちが晴れない。

 

2か月の産休が死産であっても義務付けられているみたいだけど、

生産であれば、お母さんは自分の身体の回復と赤ちゃんを育てるので、本当に毎日色々大変だろうけど、前に向かって進んでいる喜びがあるのかな…でも、私は毎日、家で身体の回復を待っているだけで、何なんだろう。

仕事をしている方が辛いことを考えなくてもいいから楽なんじゃないだろうか?

と、思わなくはない。

今まで散々忙しく働いてきたんだから、この休みをギフトとして感謝して受け取ったらいいんだとも理解しているけれど、

なんだかポッカリと喪失してしまった何かがあることに向き合わなくちゃいけないのはつらい。

アメリカ行きたいなぁ…とか、ここに行きたいとか、あそこに行きたいとか…

思ったりしても、実行力にも欠けている。

 

時間があるから昔にあった色々なことを思い出してみたりもする。

数年前にアメリカから帰国したとき。

アメリカに残る準備をしていたのに、道が閉ざされて日本に帰ってきた時。

私は本当に自分の人生は真っ白の白紙になったと思った。

何をしていいのかもわからないし、私っていったい何のためにここにいるのか?

よく分からない…

久しぶりにその時と同じような気持ちになっている自分がいた。

 

これから何をどうしていけばいいんだろう?

何もしたくないけど、何かをしなくてはいけないような気持ちもあり、

何かをしたいけど、何もできない気持ちがする。

 

とりあえず前にあること…

いままでやりたかったのにできなかった

掃除や洗濯や、ものの整理…

1つ1つをやっていくしかないのかな。

 

華やかなクリスマスの季節から

置いていかれてしまったような鬱状態から

どうやったら抜け出せるのかな。

 

しっかりしなくちゃ…

12月13日 1週間後の検診

12月13日。

出産1週間後の検診予約が入っていた。

退院時に本当は1か月後だけでもいいと言われていたけれど、心配なので1週間後にもお願いしていた。

予約を入れていて良かった。

実は前日の夜にいきなり大きな血の塊が出て、そのあとしばらく大量の出血があった。また、入院してから血圧が下がらないのと、片頭痛もひどかったので不安をしっかりお医者さんに伝えることができた。

経腟エコーと内診で診てもらうと、子宮内にまだ血の塊が残っているから排出されるだろうということ…まだ2週間くらいは出血は続くらしい。

血圧が心配なので子宮収縮薬を使わずに自然に排出することを待つことになった。

また、血圧に関しても、妊娠が1つのスイッチとなって高血圧になってしまう人がいるという事。ただ、160・110のような治療の必要なレベルではないので、これも様子を見ることに。そして片頭痛に関してはロキソプロフェンを処方してもらった。

入浴はあと1週間はNG。

でも、血圧や調子を見て少しずつ運動するのはOK。

プールは次回の1か月後の検診までNG。

次回の検診時に染色体検査の結果も出るので、それまでにこれから次の妊娠に向けてどのように進むのかを話し合っておいてくださいということだった。

次の妊娠に向けて…というのは、今回の妊娠も私たちはMレディースクリニックでタイミング指導とAIHを受けていたので、またMレディースクリニックに戻るのか?それともこのK病院でそれを受けるのか?また別の方法を考えるのか…?

まだ私の中でも答えは出ていないのだけど、ゆっくり考えていきたいと思っている。

 

そしてこの日、改めて入院中にあった色々な病院の不手際に関して、N先生と看護師長さんからの謝罪があった。

院長にも報告をして、病院全体で改善に努めるということ、

その一環としてマニュアルを作成中で、今度の1か月後の受診の際にはそれを具体的な形で報告します…と説明があった。

私達もこの日、自分たちが感じたことを「意見書」としてK病院へ提出をした。

 

帰宅してから、何だか不思議と体が楽になった気がした。片頭痛も消えてくれた。

(せっかくロキソプロフェンもらったのに…)

運動もOK(運動したほうが子宮の中のものもしっかり出てくれるし、何よりもストレスを発散してくださいということだった)という言葉で少し元気になったのかも?

あとは、首の後ろをホットパック(レンジでチンするとしばらくじわっと暖かくなるやつ)で温めると全身がぽかぽか温かいことを発見して(夫が『これ、あるじゃん!』って探して来てくれた!ナイス!)それも助けになったのかも。

まだまだ怠さや出血はあるし、いきなり終わりを告げた妊娠状態に身体の大パニック感は否めないんだけど…ゆっくり、しっかり、健康に!と思っています。

12月9日 火葬

火葬は皆さんがブログで書かれていたように、胎児の場合は朝一番に行われるとのこと。9時の予約だったので、私達は朝の8時半に火葬場へ到着した。

 

前日に御葬儀屋さんから「まだ小さいのでもしかするとお骨が残らないかもしれません。もしもご希望であれば10円玉を中に入れて、その残った10円玉を遺骨代わりにする方もいらっしゃいます。」という話があった。でも…10円は10円なので…私たちは少しでもお骨が残ることを期待して、金属を入れることはしなかった。

(それから、病院で「へそのを」をしっかり残して桐の箱に入れて渡してくれていたので、形見が何も残らないわけではなかったから…ちなみにこの「へその緒」乾燥したら中の血管がしっかり見えてきて、FMCでの診断の通り悲しいかな3本あるはずが2本しか血管がありませんでした…)

 

9時に呼ばれ、火葬の場所へ…最期の対面の時間。

食べるのが大好きな私達の子供だから、少しだけでも…ということで卵ぼーろと私たちの朝ごはんだったおにぎりを小さく小さく握ったものを枕元に入れてあげた。

それから、短いお手紙も入れた。そこには「ありがとう」の言葉をたくさん書いた。

私達はお別れと涙の時間を過ごして、そして私は静かに神様に祈りながら、小さい我が子の身体とさよならをした。

 

まだ産まれてきていない赤ちゃんに魂はあるのか?

どこまで意識があるのか?とても難しい問題だし、今、こうやって生きている私達には完全には分からないことなのかもしれない。

でも私自身はクリスチャンとして、聖書を通して神様は胎児のころから私達1人1人をしっかり造られていると思っている。

「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物のすべてが書き記されました。

私のために作られた日々が、しかも、その1日もないうちに。」

旧約聖書 詩篇139篇16節)

今頃、希ちゃんは天国の神様の所で楽しく笑いながら過ごしているんだろうな…

 

30分くらいたってから、私達は収骨所へ呼ばれた。

白い小さい骨が少しだけ残っていた。

私達は自分たちで持ってきた陶器のポタリーケースにそれを収めてもらった。

白い2羽のハトが付いていて、白いハトは聖霊や希望を表すものなので、

(実は前に母親が「可愛いから」とプレゼントしてくれていたもの…)大きさもちょうどよかった。

私達は納骨はせずに、自分たちが死ぬまではお家で保管することにしていたので、

この容器と一緒に帰宅して、母親が送ってくれたお花と一緒にリビングに置いた。

「お帰り。ここが我が家だよ~」

 

この日はとっても天気が良くて、雲1つない青い空だった。

 

12月8日 静かな面会の時間

私達はあらかじめ調べていた「希望」の花言葉の花を駅の花屋さんで購入した。

女の子らしい可愛い色にしたかったので、薄いピンクやちょっと元気なピンクのガーベラとトルコキキョウを用意した。いずれも花言葉は希の名前の由来である「希望」が花言葉

他にもお家にあった青いフェルトでできた熊のぬいぐるみと白い毛糸で編んだベビーシューズを持ってきた。

セレモニーサービスの場所は気が付かなかったけど、K病院の目と鼻の先にあった。

中に入るとすぐに通されて、静かな面会室に小さい棺が運ばれてきた。

夫も私も涙を流しながら、棺の中にお花を飾っていった。

女の子らしい可愛い棺になった。

そして枕元には私と夫と愛犬の3人の写真を置いた。

「天国で私たちが希ちゃんに気が付かなくても、すぐに探してほしいから写真を入れておくね」

6階にあったそのお部屋からは遠い丹沢の山が見えて、そこには真っ赤な夕日が沈むところだった。

夫と私と希ちゃんの3人で静かな時間をしばらく過ごした。

なんだか悲しいけれど、自分たちはちょっとだけ母親と父親になれたような、そんな少しだけの幸福感も感じるような時間でもあった。小さい命が与えてくれたプレゼントなのかもしれない。

 

*ちなみに、今回この御葬儀屋さんに支払った額は52920円でした。

棺の料金、保管料、そして諸経費ということで、病院に来てもらってすぐに私たちがサインをした火葬届を葬儀屋さんが市役所に提出、火葬許可書を貰ってきてくれるなどのサービス料がそこに含まれていました。ちなみに私たちは市営の火葬場を使ったので火葬料はゼロ円でした。

高いのか安いのかは分かりませんが…出産後のボロボロの身体で(夫もずっと付きっきりであまり寝ていなかったし)色々なことを動いてくれるのは助かったので、まぁ良かったのかな…と思っています。

 

12月8日 退院翌朝

この日は木曜日だったので、市の火葬場はお休みだった。

でも、退院して1日の準備の日があって、良かったと思う。

朝は本当に久しぶりにゆっくり目覚めて、ゆっくり朝食を食べた。

そしてゆっくり犬の散歩に出かけた。

 

まだ子宮に痛みがあるし、なんだか踏ん張れないのでゆっくりゆっくり歩きながら、近所の郵便局で用事を済ませ、パン屋さんでパンを買うというコース。

 

途中、通った公園にはたくさんの保育園の子どもたちがいた。

見ていてつらいか?と言ったら、さほど辛くはなかったけれど、

「この子たちみんな1人1人、奇跡だわ…」という思いだった。

でも、一瞬、枯葉で遊んでいた小さい女の子とお母さんの姿を見たら、急に涙が噴き出た。

夢の中で何回か出てきた可愛い女の子、きっとそれって希ちゃんだったのかなぁと思うのだけど、ちょうどそんな感じの女の子だったから。

 

歩きながら夫とこんな話もした。

「色々な死産の人のブログを見ててね、みんな産まれてきた赤ちゃんが『夫に似てる』とか『私に似てる』とか書いているんだけど…9割がた『夫に似てる』って書いてる気がするんだよね。で、昨日あなたの寝顔を見ながら思ったんだけど、それって自分の顔よりも普段、夫の顔の方がよく見ているからなのかなぁって思ったり…希ちゃんはどっちに似てるって思った?」

そして実は2人とも同じようなことを思っていた。

ちょっと口角が上がっている感じは母親の私に、そして目や鼻の付き方は父親の夫に似ているって…

15週の小さい命にもすでにそんな私たちの面影があるんだね。命って本当にすごい。

 

帰宅してお昼を食べて、シャワーを浴びて、久しぶりにしっかりお化粧をして(きれいなお母さんでいてあげなくては!と思った…)私たちはセレモニーサービスに預かってもらっている我が子の面会に出かけた。

12月7日 退院(ちょっとした事件発生)

分娩の翌朝。

夜中のうちに、助産師さんが棺を冷たい場所に保管してくれていた。もう1回、朝に対面してから、御葬儀屋さんが預かっていった。

結局、翌日は火葬場がお休みなので、明後日の朝まで保管をお願いすることになった。一緒に帰宅してあげたい気持ちもあったけど、しっかり保管していただくことに安心感もあったので。

 

出血と子宮が小さくなろうとする痛みはあったけど、もう陣痛の痛みとは比べものにはならない。ただ、眠れていない(体は眠ろうとしても頭はずっと起きていた感じ)怠さがひどかった。夫も私も朝食をとって病室でゆっくりしていた。

 

「今日の午前中には退院できます。」

朝の検診に来た助産師さんからはお話しがあった。

なので、まず退院前の診断を受けるのを待っていた。

 

すると病室にN先生が直接入ってきた。

「実は、謝罪しなくてはいけないことがあります。」と…

今回、子宮内胎児死亡が宣告された時から、私達はK病院に「胎盤染色体検査」をお願いしていた。それはFMC東京クリニックで受けたカウンセリングを基に私たちが決断したことで、次の妊娠を考えた時に、それに進んでいくためには今回の赤ちゃんの死因をしっかり明確にしておくことが大切だと考えていたから。FMCではこの胎盤染色体検査を薦めてくれていたのだけど、K病院ではどうも経験がなかったらしい。でも、K病院も外部の検査会社に問い合わせたところOKだったので、そのための手続きも進めてもらっていた。そして入院時やその後何回も私たちは「胎盤検査大丈夫ですよね?」と確認していた。

それなのに…

当直の先生や検査室への伝達が上手くいっておらず、出てきた胎盤を通常の処理であるホルマリン処理を行ってしまい、検査が出来なくなってしまったと告げられたのだ。

胎盤は生理食塩水に付けてすぐに検査会社に送られなくてはいけなかったのに。

もう取り返しはつかない…これで、のぞみちゃんに何が起きていたのかは永遠にわからないことになってしまった。

N先生はとにかく謝罪を続け、私達はこれからの妊娠に向けての不安を話した。

N先生は今後私が責任を持って診させてもらうので…と言っていた。

怒りもあったけど…もう仕方がない…話し合いを終えて、私は最後の内診を受けるために処置室へ。

するとN先生がすぐに助手に「すぐに生理食塩水持って来て!」私に「胎盤が残っていました!」と伝えた。

正直、昨晩の処置も大丈夫だったのか気になっていたの、子宮の状態をしっかり見てほしいと伝えていたのだけど、なんと、子宮口の近くにあった少し大きめの子宮筋腫の陰に胎盤の破片が残っていたのだ。

「これでしっかり検査にも出せます。子宮もとても綺麗です。卵巣にも傷はついていないし。大丈夫。」という診断だった。

 

とにかく、今回は綺麗な分娩で特に処置の必要がなかったという事、また血圧も高めなので余計なお薬も出しません。抗生物質だけ飲んでくださいということで、色々な事務処理を終えて、(出産一時金の直接支払制度のおかげで支払いもまったく無しで)退院した。

 

家に帰ると、一晩不安な気持ちで1人で過ごした愛犬が大喜びで寄ってきてくれた。

疲れ果てた2人は久々に家でしっかり休むことができた。

 

12月6日 入院2日目(かわいい赤ちゃん)

出産後、まずやらなくてはいけなかったのは御葬儀屋さんとのお話しだった。

ブログで色々調べてはいたけれど、どの病院でも対応が違ってよく分からなかった。

私達は自分たちで火葬場へ連れて行こうかと思っていたのだけど、結局病院には産まれてきた赤ちゃんを入れてあげる箱もなく、私達も持ってきている訳もなく、なんだかそういう諸々を考えるともう葬儀屋さんにきてもらうしか方法はないと思って、すぐに来てもらった。小さい小さい棺を持って来てもらった。

 

そして、その棺が来てようやく…私たちは自分たちの赤ちゃんに対面することが出来た。

連れてこられた時に私はベッドの上にいて、夫が出入り口付近にいた。

なので、まず夫が対面をすることになったわけで。

 

私は対面したときの夫の表情を一生忘れないと思う。

それは生きていても、命がなくてもとっても可愛い赤ちゃんに対面した父親の顔だった。「かわいい」夫が声を上げた。

そして私も対面した。

 

それは、本当に手のひらにのる大きさの、でも小さいけれど指には1つ1つ小さい爪もあって、かわいい可愛い女の子だった。

口元は少し笑っているようにも見えた。

手を組んで横を向いて寝かせられたたった30gの小さい我が子。

苦しかったのかな…首の後ろには浮腫の後、心臓も大きくまだ透明な皮膚の下に見えていた。でも、ここまで大きくなって…ありがとう。ありがとう。

 

病室でしばらく親子水入らずの時間を過ごした。

静かに涙を流しながら、でも時々「この太くて力強い足は2人に似ているよね。2人とも筋肉質だから。」とか「ぷっくらしたお腹がかわいらしい。」とか微笑みながら。

 

今夜はしばらく部屋に置いてもらって、3人で眠ることにした。

名前は希望の希と書いてのぞみちゃん。

私も夫も希望を持って歩んで行けるように、天国で見守っていてほしい。

そして私の頭の中に聖書のこの言葉が頭から離れなかったから

「この希望は失望に終わることがありません。」(新約聖書・ローマ人への手紙5章5節)

 

のぞみちゃん。産まれてきてくれて。

私達のところに来てくれて、本当にありがとう。