HOPE in GRACE *流産・死産(子宮内胎児死亡)そして妊活の記録*

2016年12月 2度目の流産を15週で経験したときの記録です。そしてその後の妊活記録。

振り返り①妊娠に気が付いたとき

それは6月でした。

私たち夫婦は6月から正式に特別養子縁組あっせんのリストに登録され、15日から受託可能であると伝えていました。なので6月に入ると赤ちゃんの紹介の電話をドキドキしながら待っていました。

幸いにも私の職場は(沖縄に移住後1年で教職を離れ、とある教育文化施設で働き始めていました…これもとてもドラマチックな出来事だったのですが…)この養子縁組に関しても物凄く応援してくれていて、登録の条件であった育休の取得にも全面的に理解をしてくれるというとてもありがたい状況でした。

しかし、新型コロナウイルスで全てが不確定な状況もあり、どうなるだろうという漠然とした雰囲気の中…私の体調がいまいち優れない日が続くようになりました。とにかく眠い…そして「もしかして?」の思いが過り、6月19日、思い切って産婦人科を受診しました。

 

待合室では恐怖しかない私。今までの経験が頭を過り、期待を打ち消す感情。ダメなときの自分への励ましをとにかく考える頭…そして、診察。

 

エコーにはしっかりした力強い心拍が映っていました。

しかし、産婦人科の先生は何一つ明るい言葉はかけてくれませんでした。

「とにかく1日も早く県立病院を受診してそちらにかかってください。うちではあなたのような超ハイリスク妊婦は受け入れられないので。」

そりゃそうだろう…と思いながらも、心拍を見ながら涙が溢れました。

そして指示通りに帰路、市役所で母子手帳を受け取りました。

(この時点でもう妊娠9週だったので。じつはもう少し前から気が付いてはいたけど、とにかく怖くて受診できなかった…)

 

そして、翌日。真実は小説より奇なり?

なんと養子縁組の団体から電話が!実は妊娠確定が金曜日だったので、土日に入ってしまい、私の方から電話をできず、週末が明けてから電話をしようと思っていた矢先でした。担当の方が淡々と、的確に紹介したい赤ちゃんの私たちに伝えうる情報をお話ししてくださりました。この時には私たちは実は、お腹の中の実子も育てつつ、養子縁組もできないものかという淡い期待もあったのですが、情報をお聞きした後に「実は…」と妊娠のことを伝えると、それは不可能だというお返事でした。裁判の過程で「実子がいるのになんでわざわざ?」ということになってしまい、手続きがうまくいかない世の中だということ…「今は、お腹の中の赤ちゃんのことだけを考えてください。」ということで、今まで長い期間をかけて準備をしてきた特別養子縁組のお話は中断することとなりました。

(しかし、この準備のステップは振り返ると何1つ無駄ではなかったと言えます。特に、2人で沐浴や離乳食の講座を受けていたこと、子供の理解の講座を受けていたことは、コロナのせいで両親学級がなくなってしまった中でありがたいことでした。)

 

ということで、お腹の中の赤ちゃんは養子で迎えるはずであった赤ちゃんの座を(?)払いのけてやってきた力強い赤ちゃんなのかもしれない…と思うに至りました。