振り返り②県立病院の受診など…
週が明けての月曜日、午前だけ半休を取り、紹介状を持って県立病院へ向かいました。
沖縄県は出生率No.1、その中でもこの病院はテレビでも超未熟児の取り上げが紹介されたり、産婦人科およびNICUの技術・経験には定評があり、他県からも受診する人がいる病院なので、ここで受診できることはとても安心できることでした。
コロナの状況で、厳重警戒ではあっても空いているのはありがたい。(コロナ対策でも沖縄県の中心となっている病院だったので、その恐怖はあるのだが…)
さて、診察。
先日の産婦人科の先生とは全く違う明るい雰囲気で先生から「おめでとう」「大丈夫」の声をかけていただきました。今までの経緯を話したり、遺伝子検査の必要も相談したけれど「同じようなところを通って無事に出産した人もたくさんいる」との声をいただき、安心して妊娠生活を過ごせるように助産師さんからのカウンセリングでもたくさんの力強いことばをいただきました。
さすがの医療体制。さすが沖縄。
今まで、東京で受けてきた雰囲気や声掛けとは全くちがう雰囲気に、「沖縄でよかった。沖縄だからこの赤ちゃんが来てくれたのかも」と思いました。
(ちなみに母子手帳の厚みも、町田市の2倍近い…充実のサポート体制!市役所の保健士さんのフォローや聞き込みもあったり、こういう体制あっての出生率だということを実感。もちろんつらい戦争を経て、新しい命の尊さを知る沖縄の文化、そして近所の知らない人も妊婦や赤ちゃんを助けてくれる温かさ…東京ではなかなか見られない昭和な?でも素敵な子育て応援文化には本当に感謝)
そして午後に出勤し、すぐにチームそして上司に報告をしました。
養子縁組がなくなったこと(=すぐに育休にはいることはない)、そして妊娠が分かったこと(=産休に12月から入ること)を伝えると、鳥肌が立つほど感動してくれて、全面的に応援してくれると声をかけてくれた職場には本当に感謝でした。
(この後、コロナ渦でチームの2人には妊婦の私を守り、負担をかけないように最大限の配慮をしてもらいました。)
この職場あっての妊娠であったことも確か。おかげでつらい時もありつつも、無事に34週まで大きなお腹で勤め続けることができました。
こうして、不安の中でも病院と職場という力強いサポート。
そう忘れてはいけないのはもちろん教会、特にスモールグループのメンバーの祈りという最強のサポートを得て、私の妊娠生活は始まりました。