その後…「移住しました」
久しぶりの記録。
1月の流産後、妊活は辞めました。
まったく産婦人科には行っていません。
もう、妊娠しても「出産するため」ではなく「流産するため」に妊娠しているようなものなので、もう辛すぎる。だからもう積極的に妊娠を考えるのを辞めました。
後悔…するかもしれない。
迷い…ないわけではない。
悲しみや苦しみはいつも心の奥底に潜んでいます。
でも、産婦人科に行っても、もう前に向かって進んでいる気がしないのです。
だから辞めました。失うものも多いし。
1月からずいぶん経過しましたが、色々なことがありました。
特別養子縁組を具体的に考えたいと思い、資料を取り寄せ、ワークショップに参加し、勉強しました。
でも、それに向かってすぐに動けるような状況ではなく…
5月に東京から沖縄へ移住しました。
結局、決断をし、夫は3月いっぱいで、私は4月いっぱいで仕事を辞め、
夫は4月より、私は6月より沖縄で着任しました。
5月に1人で頑張った引越しは想像を超えた大変さ(海を越えて…フェリーでの移動)、マンションの借りて募集など…思い出すだけで吐き気を催す大変さでした。
正直、まだ沖縄には全然慣れておらず、毎日「東京に戻りたいなぁ」と考えております。まぁ、そんな簡単に帰るわけにはいかないけどね…涙。
昨日より教員として着任しましたが、1年ちょいぶりのフルタイム復帰。
もう少しパートタイムの恩恵を享受したかった(涙)そんな中で養子縁組の子とももっとじっくり準備したかったけど、ま、現実はそんな甘くないよね。
しかも、これは、こういう経験を通った人はきっと理解してくれるはずの皮肉かつ過酷な環境が待っていたという…私は今回「産休代替」という立場での引き継ぎ。
すごい皮肉(もう笑うしかない。笑)!流産がきっかけで決意して着いた転職先の立場は産休代替という。しかも引き継ぐ先生は妊娠8か月ということは1月に流産した赤ちゃんと同じ位という。
本当に元気な赤ちゃんを産んでほしいと心から願うし、その方には無理をしてほしくないと思いつつ、やっぱり自分との比較は…この状況、絶対に誰でもするでしょ。悲しいよ…着任して新しい環境では容赦のない「お子さんは?」「子供は何人いるの?(沖縄、噂通りのかなりの子だくさん。2人兄弟とか少ない方…妊婦を町で見かけない日はない。マジで沖縄、謎です。なんとなくウン十年まえの昭和な雰囲気がただよってはいるのだけど)」などの質問が来るわ来るわ。みんな何の悪気もないのはよく分かっています。
はやくこの環境に慣れ、この過酷な質問と状況にも何も感じない「石のような」心が欲しいと心から思っております。(すでに数年前よりも喜びを感じにくいという面では石のような心になってしまった気がするのだけど…動じないってことは上にも下にも心が動かないってことなんだろうなぁ…これも妊活で失ったものなのだろうか。)