HOPE in GRACE *流産・死産(子宮内胎児死亡)そして妊活の記録*

2016年12月 2度目の流産を15週で経験したときの記録です。そしてその後の妊活記録。

12月6日 入院2日目(午後。出産へ)

バルーンを挿入されて、すごく変な感じだった。

痛みはラミナリアとさほど変わらなかったけれど、とにかく長い管がずっとぶら下がっているので、歩きにくいやらトイレに行っても邪魔という…

それ以外はとても静かで病室の中で夫と色々な話をしながら過ごしていた。

今までのこと…

これからのこと…

実は今回、私の父に小さい胃がんが見つかり、また母も弟も流行性の胃腸炎になったりと実家もかなりバタバタしていて、お見舞いには夫以外誰も来なかった。

でも2人で病室で過ごした時間は、色々なことを思い出したり、これからのことを考えたり、思っていることを話し合ったり…2人で過ごせて、乗り越えられて本当に良かったと思っている。

 

午後になって少し痛みが強くなってきた。

夕食前にその痛みは継続するようになってきて、もしかして陣痛が始まったかもしれないと感じていた。でも助産師さんがチェックしてもバルーンはまだ外れそうもない。

6時ごろにはその波が収まったので、まずは夫に帰宅してもらう。

助産師さんのアドバイスで今夜は部屋に泊まった方が良いとのことだった。

なので一旦帰宅して犬のお世話をしてきてもらう必要があった。

そして夫がいなくなってから、痛みの合間をぬって夕食を食べた。ご飯は半分残したけれど、なんとか食べた。

 

食後にまた痛みが波のようにやってきた。

2分くらい痛みがぐ~っとやってきて、数分の休み。

その数分の休みの間に友人からのメールを読んだりしていた。

実はそこには2人の友人からの返信があった。

アメリカに住んでいる2人の友人に私の今回の状況を伝えたら、

「実は私も流産したんだよ。」と告白された。

やっぱり、みんな言わないだけでこういう場面を通されていたんだ…

 

夫に痛みのことを伝えると「すぐに行く」と連絡があった。

本格的な痛みのスタートは8:22。

9時過ぎにはあまりに痛いのでナースコール。

バルーンはまだ落ちてきていないって。

眼を閉じて息むと痛みが強くなるから、目を開けていてくださいと言われて、

必死に目を開けてこらえていた。

10時ごろに夫が到着。痛い。気が遠くなりそうだから、声を上げるしかない。

夫はとにかくベッドの横で私をさすったり手を握り締めたりしていた。

10:30過ぎごろに助産師さんが私の大声に心配をして病室に入ってきた。

「分娩室に移りましょう。立てますか?」

「…む、無理です。痛い。痛い。」

そんなことを繰り返していた。

一瞬の痛みの隙間で、立ち上がろうとした。

「あ。でも無理。立てない。」

夫にしがみついて立とうとしたその時、何かが出てきた感触が。

「あ…出ました。」

そしてそのまま何か温かくて大きいものがどんどん出てくる感覚があった。

 

そのあとはとにかく私はベッドの上で呆然としていた。

慌ただしく当直の先生や助産師さんが動いている。

 

隣で夫は「向こうにいてください。あ。でも時間。時間を教えてください。」言われていた。

10:41 病室で出産

必死の私は隣にいた先生(このあとすぐに一番初めに診てもらっていたO先生だったと気が付いたんだけど)の腕を握って、声にならない声で何かを言った。

あっという間に色々なものが片づけられ、赤ちゃんも連れて行かれた。

私も少し意識が定まってくると2人の助産師さんと研修医っぽい男性に抱きかかえられて処置室へ移動した。

 

内診台に乗ると、とにかく涙が溢れてきた。

今までこらえていたものがとにかくバーッと出てきた。

隣で夫が「ありがとう」「よくがんばったね」を繰り返して言いながら私の手を握っていた。痛みはもうほとんどなかったけど、とにかく力が出ない。泣くことしかできない。

O先生が内診を終えた。

私は掻把の覚悟もしていたんだけど、全てがきれいに出ています。処置は必要ありません。とのことだった。

 

「あの…赤ちゃんは?」

もちろん、泣くことも動くこともないけれど、間違いなく私たちの子ども。

早く会いたかった。

「あとでお部屋にお連れします。今は綺麗にしてあげていますから。」

 

私達は病室へ戻った。