リセット
今日、生理が来てしまいました。
体温が下がらなかったのと、異様な眠気があったりしたから
少し期待したけど…
あっさりやってきました。はぁ…(ため息)
少しずつ秋の気配、涼しさを感じるにしたがって、タイムリミットを勝手に感じている今日この頃。
12月までにしよう。
ダメだったらもうあきらめて、就活して、
仕事して、お金稼いで、たくさん旅行して、子どものいない夫婦として思いっきり人生を楽しむんだって…切り替えよう。
そんなことも頭をよぎっているのです。
じゃあ何をしたいのか?最近、それが本当に分からない。
ちょうど先月に発表された安室ちゃんの引退報道。私、同い年としていろいろ考えてしまいました。(ぜんぜん違う人生だけど…笑)
テレビのあるコメンテーターが「40歳って人生の節目で、ちょうど半分だから、きっと第二の人生を考えての決断じゃないか」って。
じゃあ、私の残りの半分の人生は何なんだろう?何がしたいんだろう?
そう思うと、昔みたいに「あれがしてみたい」「これがしてみたい」ということが驚くほど何も出てこない自分にビックリしている。
でもね。この数年で、色々なことを通して、私は変わったと思う。
その1つで、希ちゃんの死産を通して、染色体異常などの生まれつきの障害を抱えた人のことが他人事ではなくなったこと。希はこの地上に産まれてくることはなかったけれど、選ばれて産まれてきたその人たちがどうやって生きていくのか?そしてそのご家族がどうやって生きていくのか?前よりもものすごく近くに感じるようになった。
今まで、教育という世界に関わってきて、私はどちらかというと受験とか私立とかの「エリート」といわれる教育に関わってきた。たくさんの天才たちに出会って、彼らと学んでいく楽しさもあった。でも、もしかしたら私はそろそろ別の道に、別の人々と関わるように召されているのだろうか?そんなことは漠然と感じている…
聖書にこんな言葉がある
「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたが若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたいところを歩きました。しかし年を取ると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたを行きたくないところに連れて行きます。」(ヨハネによる福音書21:18)
これはイエス様がペテロに対して言われたことで、この後ペテロは殉教の死を遂げるわけで、私にそのままあてはまるわけではないだろうけれど、でも、自分の好きなように生きていた生き方は、人生の後半戦、変えられていくものなのだろう。
でも、同時にこんな聖書の言葉、とっても有名な言葉が最近リマインドされている。
「求めなさい。そうすれば与えられます。」
からし種ほどの信仰が山をも動かすという祈りの強さを最近忘れていたことに気が付いた。
だから。
与えられたこの数か月はからしだね(マスタードシード…めちゃくちゃ小さい!)ほどの信仰かもしれないけれど、神様は私達に悪い実を与えられない。求める者に惜しみなく与える方であることを疑わずに祈りながら妊活していきたいと思う。
それからのことは…それから考えればいいじゃないか!