11月30日 子宮内胎児死亡の診断
11月30日。相模原K病院。
何故か勘違いして予約時間より1時間早く受付を済ませてしまった。
でもなぜかすぐに呼ばれた。
診断の前にO先生には先週にFMCで受けた診断の内容を伝え、報告書を渡した。
すぐに経腹エコーをすることになった。
私は覚悟を決めて横になった。
そこには今までピコピコと動いていた心臓の動きはなく、
ピコちゃんは静かに羊水の中に浮かんでいるようだった。
私の目で見ても、もうそこに命がないことが分かった。
O先生はまたすぐに指導医的なN先生を呼んだ。
血液の流れを映すモードに変えてもエコーには何も映らなかった。
「恐らく、もう赤ちゃんの心臓は止まってしまっています」
頭の上で同じ画像を見つめていた夫が静かに私の手を握っていた。
「すぐに赤ちゃんを外に出す処置をしなくてはいけないので、今から入院の予定などを確認するので待合室でしばらくお待ちください。」
私達は2人で静かに診察室を後にした。
私の中では「あぁ…やっぱり。ピコちゃんはもう苦しんでなかった。天国に行っちゃってたんだ…」というなんだかポッカリと心に穴が開いたような放心状態だった。
でも、その私の分の涙を夫は隣で静かに流していた…
再び呼ばれて、診断書が渡された
「子宮内胎児死亡による人工流産」と書かれている。
入院日は翌週の月曜日12月5日に決まった。
まず、5日にラミナリアを挿入、子宮口を開く処置を行う。
翌日から陣痛を行うための薬を膣に入れ、分娩。
早ければ翌日には退院できるので、最短で2泊3日の入院という説明だった。
お腹の中で死んでしまった赤ちゃんは外に出るために自分の身体を少しずつ溶かしていくとも聞いていた。早く出してあげたいとも思った。
(でも裏腹に、ずっと一緒にいたいという気持ちもあったのだけど。)
とにかく、私の中でこの診断日から入院・出産までの間は
「私のできる、この子への最初で最後の仕事はこの出産だ。痛くても何でもしっかりやらなくては。」という不思議な緊張感でいっぱいだった。